想い出が、暮らしを育てていく|大切な人を想うということ

ふと、心に浮かぶ大切な人たち
お盆が明けて、夕方の風にほんの少し秋の気配が混ざりはじめる頃。
そんな季節の変わり目に、ふと、もう永遠に会えない人たちのことを思い出すことがあります。
怖い話じゃなくてね。ちょっとした季節の香りや、音楽や、空の色。ふいに目に入った花やお菓子のパッケージに、その人の面影がやさしく重なるような瞬間。
あなたにも、そんなふうに、ふと心に浮かぶ大切な人、いませんか?
「野生の感」が教えてくれること
私は、子どものころから夢で見たことが現実に起こったり、「そろそろ連絡がきそうだな」と思ったら連絡がきたり、大切な人が旅立つ前に、お知らせのようなことがあります。
私はそういうびっくりな偶然を「野生の感」と呼んでいます。
特別な力じゃなくて、それはきっと誰の中にもある、自然な感覚。いつもは気づかないだけで、本当はみんな、心の奥にそういうアンテナを持ってるんじゃないかな。と思うのです。
思い出パーティーという名の小さな時間
そんな感覚にそっと背中を押されるように、私はときどき「思い出パーティー」をひらきます。
思い出の中の人が好きだった料理をつくって、とっておきのお茶やお菓子を用意して。
パーティーといっても堅苦しいことはなにもなく、いつもよりちょっとだけ特別で心の中で一緒に過ごす、ゆっくりとした豊かな時間。
猫とツナ缶と、暮らしの中のつながり
たとえば…わたしのそばには、長く一緒に暮らした猫がいました。
その猫は、缶詰のお気に入りのフードと思ってか、キッチンでツナ缶を開ける音に毎回飛んできて、奪おうと必死に背伸び。足元にしがみつかれると、料理が進まないから、いつも静かに音が出ないように開けていていました。今でもソロ〜っと開けてる自分に笑ってしまうくらい。
だから今は、小皿にひとくちだけお裾分け。
いまを整え、未来へつなぐということ
大切な人や存在は、姿が見えなくなっても、ちゃんと、今の暮らしの中に生きていて。ふとした瞬間のやさしさや、くすっと笑える思い出が、今日のわたしの気持ちを支えてくれている。
わたしが整えたい空間も、心地よく暮らしたい毎日も、きっとこうした「記憶」や「つながり」が土台になってる。
そう思うと、今日という日は、想い出とこれからを結ぶ“橋”みたいな大切な時間なんだと思えます。
記憶とともに、いまを大切に生きる
「死んだあとのことなんて、誰にもわからない」…それは、きっとほんとうのこと。
でも、たしかに一緒に過ごした時間があって、その中で育まれた記憶が、いまも生きている。
思い出すことは、悲しみに戻ることじゃなくて。その人と過ごした時間の中にあったやさしさや、笑い声や、ぬくもりを、今の暮らしにそっと重ねていくことなんじゃないかなと思います。
想い出と暮らす、ということ
誰かと一緒に笑った日々。救われた言葉。さりげない仕草や、背中を押してくれたまなざし。それらはどれも、いまのわたしを形づくる欠かせないピースです。
何か特別なことがなくても、日々の暮らしの中に、その記憶はそっと息づいています。
たとえば、今日の食卓。この部屋に流れる、静かな空気。どれもが、わたしという暮らしの中で、想い出と寄り添いながら続いているのです。
人生を育てる、やさしい時間
人生は、いろんなものでできている。
今この瞬間だけじゃなくて、もう目には見えない存在たちにも、私たちはたしかに支えられている。
そう思えた日は、ふと心があたたかくなって、どこか守られているようで、今を生きる力がやさしく湧いてくるんです。
だから私は、今日もまた、ツナ缶をひとつ開けて、小皿にそっとひと口。それが、私なりの「大切な人を想う」時間だったりします。
そして、暮らしの中に息づく想い出は、今日のわたしを、またひとつ育ててくれる。そんなふうに感じています。